はらわた

てめーら全員死ね!

俺はジョーカーだ。

また頭がおかしくなったと思われるかもしれない。
うん、またなんだ。すまない。

俺はジョーカーだ。
これは誇張でも何でもない。
俺はジョーカーで、このブログの読者もジョーカーになるかもしれないし、もしかしたらジョーカーを作った側かもしれない。

本作のジョーカーは、ダークナイト以降強く押し出されている「悪のカリスマ」としては最初描かれない。
不器用で不気味な不運な奴として最初描かれる。
高笑いをし、悪に手を染める皆が思っている狂ったカリスマジョーカーが出てくるのは大分後の方だ。

というかこの映画ジョーカー要素なくてもいい。
コメディアンを目指す自身の障害や社会の悪に悩まされている男が、何も信じられなくなり、最後は全て壊してしまおうと決意する映画だ。
だからめちゃくちゃな武装とか派手なアクションもない。普通に車に轢かれる。

笑えば全て好転する。はずだった。笑って笑って笑って笑って。気づけば何も信用できなくなった。
誰がこうした、俺か?いいやお前らのせいだ。お前らが俺の未来を奪ったんだ。次は俺がお前らの明るい未来を奪ってやる。よくも俺を馬鹿にしてくれたな。お前も同じステージに引きずり出して笑わせてやる。笑われろ。俺もお前も実際は大した違いはないんだ。

ジョーカーの人間味はぐっと増した。
ミステリアスな悪のカリスマよりよほど良い。
ホアキンジョーカーはヒースジョーカーを個人的には超えてきた。
ヴェノムがクソみたいな媚び方をしたせいでこの映画も不安だったが悪をやりきってくれた。本望だ。

悪は私達でもあるし、私達の周りが悪にさせたのかもしれない。
そんな映画だった。
私達の周りが悪だった場合、誰が私達をジョーカーにならないように助けてくれるのだろうか。
少なくともバットマンではない。
あいつにジョーカーは、我々は救うことはできない。