はらわた

てめーら全員死ね!

長文が書けない。

いや、お前それもうADHDやでと。
うんわかってんねんやめてや。
ちょっとでもどないかしたいから日記書いてるからさ、俺も。

どうなんだろう。
一つを掘り下げる話も大好きなのだが、友人等からは、「話が変わる、飛ぶ」、「否定しかしない。オタク。」というご意見を大変良く頂く。
ADHDのオタクなんだから当たり前だよなあ!?

今だってそうだ。
ダラダラ書いている。
それだけ。
頭の中に落下点なんか想像もつかない。
「で、オチは?」と我々関西人はよく言うが、逆に言われたら大変弱い一言である。
おもんないで、お前。こういうだけで8割の関西人は殺せる。断言しよう。

ただ意識はしようかとは思う。
言い回しが面白くなかったり、ボキャブラリーが増えたりはこれからではないか。
話の組み立て方さえ上手くやれればある程度いける、はず。
私は芸人に教えを乞うことにした。
良くなかった。ダウンタウンのコントを見ていたのだ。

何にせよ我々大阪人は喋る人で無ければいけない。
それが求められている限りは。
だから芸人のトークを見ようと思ったのだ。
結果は松本が半魚人の服装で「産ませてよ!」と叫ぶだけであった。
よし、コントじゃないな!見るべきは漫才だな!
そう感じた。
産ませてよ!あの夏のように産ませてよ!
あれは松本が半魚人の服装で魚卵を垂れ流すから良いのだ。
七三メガネが突拍子もなく言えば、ただのやべーやつである。

考えてほしい。
身長170弱のおっさんが「産ませてよ!」と絶叫した時。
この世の終わりではないか。
あれはコントだから成立するのであり、我々が会話の中で引用できるものではない。
彼らはプロだし、それを面白いと思わせるだけの技術がある。
前提が違ったのである。
土台も何もない私が松本のマネをしたところで何も面白くないのであった。産ませてよ!

日々積み重ねて、それが人になる。
今こうやってダラダラ文章を書いていることにも意味があると思うし、キャシー塚本がタイガーマスクタイガーマスク!と叫んでいたことにも意味があるはずなのだ。
だから無駄だとは思っていない。
少なくとも面白いのでそれでいい。
一生面白くなれなくても、自分が面白いからそれでいいと思う。

だから明日も言おう。
「産ませてよ!あの秋のように産ませてよ!」
よしんば私が世界一面白くなかったとしても、そこで止まってしまっては駄目なのだ。